泉州タオルとは
意外と知られていないので、まずは読み方からお伝えします。「センシュウ タオル」と読みます。
「大阪タオル工業組合」の認可を持つタオルメーカー(織屋)により製造されたタオルになります。
タグにも「大阪タオル工業組合」「泉州タオル」の2種類がありますが、どちらも公式の泉州タオルです。
この他にも、泉州こだわりタオルや、エコタオル(泉州タオルとは限りません)などの記載のタグも存在します。
泉州タオルは、現在の大阪府泉佐野市を中心に、創業以来135年(2023年現在)の歴史を刻み続ける老舗メーカーです。
日本では、今治タオルが有名になりましたが、タオル好きな方々の間では、泉州タオルの認知度も高く、沢山のファンにご支持をいただいております。
また、「泉州タオル(1887年創業)」「今治タオル(1894年創業)」は、日本の2大タオルメーカーとして、現在に至っても日本製のタオルを牽引しております。
実は、お膝元の大阪でも「泉州タオル」って有名なん?という関西人が結構いらっしゃるのには驚化されます。大阪でも「今治タオル」かい?! っと、ツッコミ入れておきます。
しかし、それもそのはずで、今でこそ「今治タオル」は、そのブランド力で「今治です。」の一言で認知・売れるようになりましたが、元来、「泉州タオル」も「今治タオル」も大手企業さんのOEM商品を生産し、安定した売り上げを確保しておりました。
その後、テレビコマーシャルなどで、独自に知名度上げていき「今治タオル」は表舞台に登っていきます。
一方「泉州タオル」は、今でも主流はOEMです。販売元様の名前がタグに書かれているケースが多いので「日本製」とは書かれているのですが、「泉州タオル」かどうかはお客様にはわかりません。
たくさんの企業様とお取引させていただいているので、皆様のお宅にも意外に沢山あるかもしれませんね。
余談になりますが、
上記には「日本2大タオルメーカー」と記載いたしましたが、「日本3大タオルメーカー」と、呼ぶケースもございます。
その、もう1社は「おぼろタオル」さんです。
ここ数年は、淺野撚糸さんが販売されている「エアーカオル」という素晴らしい商品を手掛けて、息を吹き返しているようですが、その「エアーカオル」という商品を出す前までは、両社とも倒産寸前にまで追い込まれていたそうです。
※ 「淺野撚糸」さんは字の通り「糸を撚る」会社さんです。紡績業(糸を作る会社)ではなく、出来上がった糸を「撚る」という作業をするお仕事です。
糸作りからの流れとしては、「原糸を作る会社」→「それを撚る会社」→「撚った糸を製品化する会社」更に、出来上がった製品を売る会社(個人)となって、消費者様に届く、という図式です。
実際には、その間に問屋さんが入るので、もう少し複雑になります。
中間業者が入ることで値段も上がっていくという、なんとも古〜い、利権絡み的な、闇を感じさせる、日本の悪しき習慣を感じさせる構造ですね。(あんまり言うと、バンされるかしら・・?)
話戻って・・。
そして、最後に運命を賭けて商品化したのが、この「エアーカオル」でした。
しばらくは、1年待ちになるほどの大人気商品となり、両社ともども危機を乗り越えた、という美談も付いて、またまたヒットの後押しとなりました。
淺野撚糸さんが、会社存続が耐えきれず、一度は社員を解雇したのですが、「エアーカオル」の大ヒットのおかげで、社員全員を呼び戻した、というお話はタオル好きな皆様なら聞いたことがあるのではないでしょうか?
3大タオルが出て来たので、ついでにもう一つ余談で、
3社は、日本を代表するタオル産地でありメーカー(組合といった方が良いかも)です。
泉州タオルは大阪府、今治タオルは愛媛県、おぼろタオルは三重県にあります。
それを互いが、泉州タオルを「大阪」、今治タオルを「四国」、おぼろタオルを「伊勢」と呼び合います。
タオル業界人っぽい話なので、皆様とシェアしちゃいます。
(以前、私がタオルの制作のオーダーをしようとした時、その織りは泉州タオルには無かったらしく「それやったら四国でしたら出来ますわ」と言われたことがありました。「うちは(くまさんのタオル)泉州タオルに拘ってやっているのに、それじゃ意味ないじゃないですか!」と言う会話をしたことを覚えてます。)
泉州タオルの歴史
元々タオルが日本に来たのは、1872年(明治5年)と言われている。大阪の輸入税関に「浴巾手拭二打、七円六〇銭」という記録が残っているのが、その根拠とされている。
余談になるが、当時のタオルは高価であったこともあり、首巻(マフラータオル)として使われていたとされる。
1885年、大阪の舶来雑貨商、新井末吉がドイツ製のタオルに出会ったことがきっかけとなり、日根郡佐野村で白木綿業者の」里井圓治郎に声をかけ、製織の研究に着手したとされる。
1887年、里井圓治郎によって、パイルを織る技術を完成させ、日本で初のタオルメーカーとして、現在の大阪府泉佐野市を拠点に産声を上げることとなった。
また、その時にカルキで晒すという手法がなされ、泉州タオルの「後晒し製法」が完成した。
1906年、里井圓治郎が初代会長隣「佐野タオル共同会」の誕生となる。
その後、世の移り変わりと共に、色々とその時代に合わせ、変化を遂げていくことになる。
1958年、「大阪タオル工業組合」という現在の名称にいたる。
2023年現在、今も変わらず昔ながらの素朴感と最新の技術を程良く塩梅し、普段使いの使いやすいタオルを中心に、抜群の吸水性と柔らかいタオルを作り続け、皆様にずっと愛されております。
泉州タオルの特徴
創業以来の「後晒し」製法は、圧倒的な吸水力の高さを生み出します。
タオルを織るにあったて、織りやすくするために糊付けをする行程がありますので、織った直後は固く、水も弾きます。また、糸は天然の油分や養分を含んでいるので、この油も落とさなければなりません。
「晒し」とは、この不純物を取り除くためになされる行程のことです。
因みに3大タオルのうち、泉州タオルと、おぼろタオルは「後晒し」を、今治タオルは「先晒し」で作っております。
さて、泉州タオルの「後晒し」ですが、一般的なパイルのあるタオルを作る場合、織る前の準備として、経糸(縦糸)・緯糸(横糸)・パイル糸を織機にセットします。
続いて織っていくのですが、この時はロール上にひたすら織っていきます。1枚のタオルが連続して繋がっていく訳です。
両サイドにあたる部分がミミになっていきますので、タオルが縦に並んでいる格好です。
1枚のタオルには、上下にヘムがありますので、「1枚目の上のヘム部分」→「パイル部分(本体)」→「1枚目の下のヘム部分」→「2枚目の上のヘム部分」→「パイル部分(本体)」→「2枚目の下のヘム部分」→「3枚目の上のヘム部分」→「パイル部分(本体)」→「3枚目の下のヘム部分」→「4枚目・・・」と、なっていきます。
次の行程として、このロール状に繋がっているタオルをミミを縫製し、繋がり合うタオルのヘムを中央で切断していくことで、1枚ずつのタオルの形状にします。
この時点では、ヘムは縫製しておりませんので、形状としては未完成です。
通常ヘムは、三つ折りにして束ねて縫製しますので、幅1センチのヘムは、3センチの縫代が必要になります。ですから、ロール状の時は、2枚分の6センチが縫代になる計算です。
ミミ縫製後のタオルを精錬(タオルの油分・養分・糊などの不純物をとる)・染色(色物のタオルにするため)をして、何度も何度も繰り返し水洗いして綺麗にしていくのです。
この作業を晒しと言います。「後」と言うのは正式には「後染め・後晒し」の略になります。
そして、ヘムの縫製すなわち最後の行程の前に「晒す」ので、絶対的な吸水性を産み出し、風合いにも優れたタオルに仕上がるのです。
一方、デメリットもあります。
最後に晒すことで、染料が混ざり合ってしまいます(汚染と言います)。ですから、先染めの今治タオルのような凝ったデザイン・配色は出来ないのです。
泉州タオルにシンプルなタオルが多いのはそのためです。
また、泉州タオルではエコな取り組みとして、有機精錬や天然染(草木・ドリンク染め)、オーガニック綿糸の使用といった、地球にも人にも優しい安心・安全なタオル作りに取り組んでいます。
くまさんのタオルは、そんな泉州タオルを一人でも多くの人に知っていただき、使っていただけるよう、これからも精進して行きたいと思います。
最後に
いかがだったでしょうか?
本当は、お話よりも触ったり、使っていただく方が、泉州タオルの素晴らしさを知っていただけるのですが、通販のもどかしい所でございます。
泉州タオルも織屋さんによって特徴がありますが、「くまさんのタオル」では、私が厳選したメーカーさんとしか、お付き合いしておりません。
弊社の企業理念である3本柱、「1優れた機能性・2魅力的なデザイン・3低価格、高コストパフォーマンス」を実現していただけるメーカーさんばかりです。
私が、皆様に喜んでいただけるようタオルを構想して、それに合うメーカーさんで作っていただいておりますので、存分に泉州タオルの良さを感じていただけると確信しております。
本日は、最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
催事でお会いできる機会などございましたら、是非お立ち寄りください。タオル話で盛り上がりましょう!
くまさんのタオルHPはこちら